PositiviTea第十二回目は、日経新聞ニューヨーク記者をされている伴百江さんをゲストにお招きしました。
百江さんのキャリアは40年前、男女雇用機会均等法がまだ無かった時代に遡ります。当時の日本では女性は新聞記者にはなれませんでした。一度は夢を諦めた百江さんですが、そこからどうやってニューヨークに渡り記者になるに至ったのでしょうか。また、どうやって当時は女性にない仕事であった記者になろうという発想を持ったのでしょう。
30年間ニューヨークで記者をする間、ドットコムバブル、リーマンショック、そして今回のパンデミックと世界的な危機を何度も体験してきた百江さん。そこで見つけた記者としての自分の役割とやりがいについて熱く語っていただいております。
続きはポッドキャストで!
後半は家庭と育児の両立に関するお話の続きから始まります。会話中に出てきた百江さんの書いた記事「分断のアメリカ」はこちらになります。